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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)2284号 判決 1976年4月30日

原告 前島憲平

原告補助参加人 横山甲子一

引受参加人 吉沢土地株式会社

脱退被告 熱川観光ホテル株式会社

承継参加人 石島大

脱退被告 菊地赳夫

主文

一  原告と引受参加人吉沢土地株式会社との間において、別紙目録(二)記載の土地と同目録(四)・(五)記載の土地との境界は、別紙図面のB2・B3′点を直線で結んだ線と確定する。

二  原告と承継参加人石島大との間において、別紙目録(一)記載の土地と同目録(三)記載の土地との境界は、別紙図面のB1′・B2点を直線で結んだ線と確定する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

(原告)

一  原告所有の別紙目録(一)および(二)記載の土地と承継参加人所有の同目録(三)記載の土地ならびに引受参加人所有の同目録(四)・(五)記載の土地との境界は、別紙図面のイ・ハ・ロの各点を直線で結んだ線と確定する。

二  訴訟費用は、参加人らの負担とする。

(引受参加人)

一  原告と引受参加人との間において、別紙目録(二)記載の土地と同目録(四)・(五)記載の土地との境界は、別紙図面のB2・B3の各点を直線で結んだ線と確定する。 二 訴訟費用は、原告の負担とする。

(承継参加人)

主文第二、三項と同旨

第二主張

(原告)

一  請求原因

(一) 原告は、別紙物件目録(一)および(二)記載の土地(以下それぞれ「甲地」および「甲′地」という。)を所有し(昭和三五年五月二五日、原告補助参加人横山甲子一から譲受)、承継参加人は、同目録(三)記載の土地(以下「乙地」という。)を所有し(昭和四九年一一月二〇日脱退被告菊地赳夫から譲受)、引受参加人は、同目録(四)および(五)記載の土地(以下それぞれ「丙地」および「丙′地」という。)を所有し(昭和四八年四月七日脱退被告熱川観光ホテル株式会社から譲受)ているところ、甲地は乙地と、甲′地は、丙地・丙′地と、それぞれ境を接し、右各境界につき当事者間に争いがある。

(二) 甲地および甲′地と乙地、丙地・丙′地との境界は、別紙図面のイ・ハ・ロの各点を直線で結んだ線と定められるべきである。その根拠は、次のとおりである。

1 (ロ点の決定)

昭和三四年一二月一〇日頃、原告の前所有者である原告補助参加人の代理人滝口郁馬が、丙・丙′地の前所有者である脱退被告熱川観光ホテル株式会社(以下「被告会社」という。)代表者吉沢要三郎と現地立会して甲′地と丙地との南端境界点としてロ点を合意確定した。

2 (イ点の決定)

ロ点を確定した際、被告会社代表者が甲′地と丙地との境界線の方向を指示したので、現場にいた土地家屋調査士上野庄がこれを延長した線と海岸道路端との交点を得、これに基づいて公図の地形、距離(海の突端から境界点までと、境界点から屈曲部までの距離)、地積、近隣地との位置関係等を縮尺に基づき拡大したものとそれぞれの実測とを比較し適正と認められる地点を決定し、この地点と前記交点を調整し、甲地と乙地との境界点として最も妥当と認められた地点がイ点である。

3 (ハ点の決定)

ハ点は、イ・ロの各点を結ぶ線が、一二三四番と一二三五番との境界線と交わる点である。

4 原告所有地の地形

原告所有地(甲地および甲′地)の地形はほぼ三角形であり、二辺は海に面するから、国有海岸空地との境界(いわゆる官民境界)を根拠として、公図と実測図との比較をなすべきであるが、右官民境界は、現況海岸道路山側の線とされるべきである。その理由は、次のとおりである。

(1)  公益的、第三者的立場の国有財産部局長としての静岡県知事の意見によれば、部分的には出入りはあるが、道路敷の大部分は国有地で法尻が官民境界であるとされている。

(2)  脱退被告菊地赳夫(以下「被告菊地」という。)の西側隣接地の所有者塩崎鶴蔵と東伊豆町長の間で、官民境界を町道(現海岸道路)の山側とする合意が成立している。

(3)  旧海岸道路に、旧城東村当時(昭和三〇年頃)建設され、昭和三三年狩野川台風で一部決壊したものを復旧したのが現在の海岸道路であり、その道路敷は新旧同一である。また、昭和三〇年開設の旧海岸道路は、昔からあつた小道(人道)を拡張したもので、その殆どは海を埋立てて造られており、小道は大体現海岸道路の下にあり、原告所有地を削つて造られた部分もあるが僅少である。例えば、かつて通行人が岩の下をくぐつて通つた為「くぐり岩」と呼ばれる岩が海岸道路際に現存しているが、この箇所では現海岸道路は昔の小道より海側にあることが明らかである。

(4)  昭和一九年の分筆以来原告所有地の海岸線が変化した事実も、採石によつて面積が減少した事実もない。そこで、現海岸道路内側の地形と公図とを重ね合せる方法により境界線を得る場合は、第二回鑑定書第4号図表示のG3・ロの各点を結ぶ線とするのが最も現況に対応して妥当な線である。

原告は前記測量の際、被告菊地の立会を得られなかつたので、甲地と乙地との北側の境界点として前記の方法でイ点を定める他なかつたが、右G3・ロ線はロ点および被告会社代表者の指示方向とほぼ一致している。

従つて、これより控え目な原告主張のイ・ロ線は最低限維持されねばならない。

5 原告補助参加人は、滝口郁馬を指揮者として、昭和三五年二月頃、約一ケ月にわたり地元の人を一日平均四人延百人以上使用して、原告主張線まで大小無数の雑木を伐採した。右作業は大規模であつたので地元民は皆これを知り得たが、作業期間中隣接地主から境界を問題とされたことはない。就中、被告会社代表者は協力的であつたし、被告会社の管理人井戸上栄八は右作業を知つても黙つて見ていた。

被告会社は、先にロ点を合意しておきながら、右伐採時に原告所有地内に温泉が出そうなことが判明したので、原告所有地内へ侵入したものである。

6 本件境界は、昭和一九年二月一八日、分筆により創設された。したがつて

(1)  分筆地(甲地および甲′地)の地積は公図上の面積によつている。

甲地は一二三四番一から、甲′地は一二三五番一からそれぞれ分筆売却されたが、その際、現地の実測はなさず、図上で分筆することとし、分筆申告書添付図面(甲第一六号証の四)のような地形(一直線の境界)で分筆申告がなされ、それがそのまま公図上に記入され、登記簿上昭和一九年二月一八日分筆登記された。

第二回鑑定書第一〇号図によると、甲′地は図上面積が六、〇〇九・七〇平方メートル、登記面積六反一畝(六、〇四九平方メートル)、甲地は図上面積八、四八五・三五平方メートル、登記面積八反五畝二〇歩(八、四九五平方メートル)で殆ど一致する。

(2)  実測面積が登記面積と殆ど一致する。

甲地と甲′地とを合算すれば、実測面積は登記面積に比し一六一・八一坪の丈量増であり、これは僅か三・六パーセントの誤差にしか過ぎない。(但し、第二回鑑定書の如く、甲地と甲′地との地番境を稜線とした場合、甲地が実測六、三六九・一五平方メートル(登記八、四九五平方メートル)、甲′地実測八、七一一・二二平方メートル(登記六、〇四九平方メートル)と逆になつているが、これは公図と現地との不一致および稜線の決め方の誤差によるものである。)

不動産登記手続上、分筆する場合、分れる土地についてのみ実測を要求している(不動産登記事務取扱準則第一〇九条、第一一〇条)。従つて、繩延びのある土地では、分れた土地は登記面積と実測面積は大体同じであるが、分筆された元番の土地の登記面積と実測面積とは大きな差を生じることがある。この理は繩縮みの場合も同様である。

(3)  山林においては、古来境界の区分には峰、谷、河川、沼沢等の天然地形線によることを通例とするが、甲地および甲′地は近年の分筆のため右の様な天然地形線は存在しない。

(4)  一般に公図は「境界についていえば直線であるか、曲線であるかというような地形のものについては比較的正確であるが、距離とか方位、角度の点は比較的不正確である」といわれるが、第二回鑑定書第4号図は本件土地付近もほぼ右のことがあてはまることを示している。しかして公図上甲地および甲′地と乙地および丙地・丙′地との境界線は一直線で表示されている。

(5)  従つて、本件では右の分筆線が現地の何処であるかを合理的に決すれば足る。

7 なお、被告会社は、一二三五番一の登記面積を、昭和四二年一〇月六日、錯誤を理由に、従前の四、八六〇平方メートルを、一〇、六八六平方メートルに地積訂正しているが、実測面積に比較すべき登記面積は、地積訂正前のものによるべきである。従前被告会社が所有した土地(丙地・丙′地を含めて全七筆)の実測は、海岸道路内側で一八、三六八・三一平方メートルで、登記面積は一八、九六二平方メートルであり、原告主張のハ・ロ線が正当であることが実証される。

(三) 引受参加人らの主張は次のとおりすべて根拠なきものである。

1 槇の木(B2点)について

(1)  本件境界は昭和一九年の分筆によつて初めて創設されたものであるから、樹令百年以上の古木が境界木である筈がない。

(2)  B2点の槇の木は一二三四番と一二三五番との地番境である稜線(山林の境界とされる峰)上に植えられており、第一回鑑定書第二号図のB22、B23、B24の各点にもいずれも槇の木があり、右各点はいずれも稜線上にある。B2点の槇の木は右のとおり地番境としての稜線上の一本にすぎず、前記の昭和三五年二月の伐採時に間引きの形で残つただけのものである。右伐採までは雑木が繁茂し、人が立ち入ることは容易でない状態であり、B2点の槇の木の存在を知る人はいなかつた。

(3)  昭和一九年の分筆申告書によると、分筆線は海岸上の二点を直線で結んだ線であり、この線と地番境との交点が図面上存在するにすぎず、現地でこの交点が決定できる筈はない。分筆に際し現地の実測はされておらず、分筆地の面積は公図上の面積である。

(4)  仮りにB2点の槇の木を境界点とすると、B1′・B2・B6の各点を結ぶ線(引受参加人ら主張線)は著しい屈曲線となり(第一回鑑定書第二、三、四号図参照)、かつ、公図の位置と著しく異なる(第二回鑑定書第6号図の甲ハ点又は交11点付近が公図の交点と対応する。)。

(5)  稜線を地番境と仮定して、B2点の槇の木を境界点とすると、甲地は実測僅か三、一四八平方メートルとなり、登記面積の三分の一程になる。

(6)  B2点の槇の木の下の境界石は、元々存在しなかつたものであり、原告の関知しないものである。

2 二本の夏みかんの木について

承継参加人が境界として主張するB2・夏みかんの木・B1′の各点を結ぶ線は、第二回鑑定書第2号図のとおり著しく屈曲する。また、仮りに分筆線が夏みかんの木から離れていたのであれば、右夏みかんの木は境界について意味のあるものではない。

3 松の木(B1点)について

右B1点の松の木は海岸であるため無数に存在する松の木のうちの一本にすぎず、境界木としては著しく不適切である。

4 海岸の大石(B6点)について

引受参加人主張のB6点の大石は、付近に無数にある岩石の一つで、傍の石より小さい位であり、それ自体境界の適格を具えていない。被告会社代表者はこの石について前記現地立会の際上野測量士に話していない。

5 温泉の掘さくについて

知事の温泉掘さく許可は、現地で地点を確定してなされるものではなく、現地が何人の所有であるかを確認して行うものでもないから、境界訴訟においては何の根拠にもならない。

6 耕作について

承継参加人主張の畑は、極く古い跡もあるが、比較的新しく原告所有地に侵入して耕作したものと考えられる。

7 境界指示について

(1)  昭和三七年の伊豆急行開通以前は、本件土地付近は、売買に際して正確な境界が問題とされるような地価ではなく、採石を目的として石材業者が取得したのみであり、石材があるのは海へ向つた先端部のみであるから、石材業者らは被告側との境界に関心を抱かずにこの土地を取得した。

(2)  現実の売買取引においても海岸沿いの下の道から大体の境界方向を指示するだけであり、境界指示のため山の上へ登つて行くことはなかつた。また原告補助参加人が前記の伐採をするまでは、雑木が繁茂し、人間が立ち入ることすら容易でない状態であつた。

(3)  原告の前主である原告補助参加人は、買得の交渉に当つた訴外中平定輝から大体の境界を聞いていたが、一般に地価の安かつた昭和三五年頃の山林売買で境界が大体の指示しかなされなかつたという方こそ常識上首肯され、厳密に点とか線で境界を指示されたという方が条理に反する。

8 採石について

原告所有地は、昭和一九年二月一八日訴外石垣吉衛が採石のため買取り、その時初めて分筆され、その後昭和二六年一月一七日訴外日本石材工業株式会社(同年五月三一日富士石材株式会社と商号変更)、昭和三一年四月一〇日訴外広瀬産業株式会社と、石材業者間で採石を目的として順次転売されたが、現実に採石されたことはない。

(引受参加人)

二 請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の原告主張事実は争う。

(三)  請求原因(二)の原告主張事実に対する認否を詳述すると、

1 同(二)1のうち、原告主張の頃、被告会社代表者が原告補助参加人の代理人滝口と現地立会したことは全くない。ロ点には境界点と目すべき標識、地形、事物、土質の変化はない。

2 同(二)4の官民境界は海岸道路山側ではない。海岸道路は被告会社所有地を削つて敷設されたから、官民境界は道路よりも海岸寄りになる。同6(4) については、石垣吉衛が採石の為に甲地および甲′地を買い、同人が採石したために右両地の海側の土地が減少している。

3 同(二)5の伐採は否認する。本件土地付近は箱根伊豆国立公園内であるから森林の伐採や土地の変更には知事および厚生大臣の許可を要する。井戸上は当時被告会社の管理人ではなかつた。被告会社は、昭和三四年一〇月二四日、管理人須藤熊蔵名義で伐採許可を受けて伐採した。右須藤が病気辞任の後、井戸上が後任の管理人となつた。

三 主張

(一)  原告所有の甲′地と、引受参加人所有の丙地・丙′地との境界は、別紙図面のB2・B3各点を直線で結んだ線と定められるべきである。その理由は、次のとおりである。

1 B2点には槇の大木があつて、これが原告所有地と引受参加人所有地との境界標識の役割を果しており、B6点には大石があつてこれが境界標識となつており、B3点は、B2・B6各点を結ぶ直線が海岸道路山側の線と交わる点である。B2・B6各点は、被告会社が、昭和二六年頃前所有者土屋信之から当時丙地および丙′地を含んでいた分筆前の一二三五番一の土地を買受ける際、土屋の代理人嶋田玄から指示された境界点であり、右嶋田は自己所有の甲地および乙地売却に際しても、B2点を境界点として明示している。槇の木は本件土地附近の境界木であり、別紙図面のB25・B24各点にもある。

2 境界線をB2・B3各点を結ぶ線と定めることは、これによる原告所有地(甲′地)と引受参加人所有地(丙地および丙′地を含む七筆の土地)の面積の増歩率が、一二三五番の土地全体の増歩率にほぼ合致する(第二回鑑定書(リ)の(ホ)参照)。

3 B3点で海岸道路が屈曲しており、また、被告会社は同部分まで自己の元所有地であつたため、六メートルの広い道路を新設しており、右B3点が境界点であることを物語る。

(二)  仮りに右境界が相当でないとすれば、右両土地の境界は別紙図面の交9交15各点を直線で結んだ線と定められるべきである。その理由は次のとおりである。

1 境界を創設する場合は、実測面積を登記面積に従つて按分するのが相当であるが、一二三五番と一二三四番の各土地は全く別個の沿革をたどつたものであるから、一二三五番地内で按分すべきであり、第二回鑑定書第8号図によると、交9交15を結ぶ線が妥当とされる。

右によると、甲地と乙地との境界線と段差が生じ、公図に合致しないことになるが、公図は絵図面に過ぎないことおよび右の各土地の沿革に照らし、異とするに足りない。

2 なお、公図上の面積による按分は、絵図面に過ぎない公図の面積をもつて実測面積を按分することになつて相当でないし、その上、これによる結果も甚だ不公正である(右鑑定書第6号図参照)。

(承継参加人)

四 請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の原告主張事実は争う。

(三)  請求原因(二)の原告主張事実に対する認否を詳述すると、

1 同(二)1のうち、原告主張の頃、被告会社代表者が原告補助参加人の代理人滝口と現地立会してロ点を合意確定した事実はない。

2 同(二)2のイ点は、甲地と乙地との境界点ではない。

3 同(二)4(2) は否認する。乙地の登記簿上の面積は二町八畝四歩であるが、これには東伊豆町が建設した新道(現海岸道路)とこれより海に至る土地が含まれており、東伊豆町当局の要望によつて、被告菊地は、昭和三六年七月五日、海岸道路敷地部分巾四メートル、長さ九九メートル(三九六平方メートル)とこれに接する海岸部分の土地を町に寄附したが、その旨の登記をしていないので、登記簿上の面積は従前通りである。

昭和三四年一二月二二日当時、現在の海岸道路は未敷設で、その外側の岩石上にコンクリート板を二間巾に置いた粗末な道路(旧道路)があつたにすぎず、狩野川台風の後昭和三五年、東伊豆町が原告や被告菊地等の土地を切崩して四メートルの新道を建設したものである。

くぐり岩先端も現在の道路を敷設する為削られた。

五 主張

(一)  原告所有の甲地と承継参加人所有の乙地との境界は、別紙図面のB1・B2の各点を直線で結んだ線と定められるべきである。その理由は、次のとおりである。

1 B2点には槇の老木があつて、これが、甲・甲′・乙・丙′の四筆の土地の境界点となつている。

2 B1点には松の老木がある。右槇の木と松の木を結ぶ線の間に夏みかんの木二本(但し境界線よりやや山側に寄る)がある。被告菊地は昭和一九年頃前主嶋田玄、嶋田勲両名から、右各境界標識の明示を受けて、乙地を含めて四筆の土地(その後全五筆に分筆)を買受けた。

3 乙地の四囲の境界は、南側は前記のとおりであり、東北側は訴外塩崎益夫所有一二三三番一と接し、塩崎所有地内に境界線に沿い松と檜の植込みがあり、西側は引受参加人所有一二三五番一および同九と接し、境界線に萱が繁茂した土手があり、西北側は一二三六番一・同六と接し、両地内に境界線に沿い松の植込みがあり、何れも境界線が自然且つ明瞭である。

4 承継参加人所有地の登記簿上の面積は、一二三四番一(乙地)が二〇、六三八平方メートル、同番六が三・三平方メートル、同番二が一、二七九平方メートル、同番三が八八九平方メートル、同番四が五二八平方メートル、合計二三、三三七・三平方メートルであるが、実測面積は一一、八八六・四七平方メートルで、減歩率四九・〇六パーセントである。

原告所有の甲地の登記簿上面積は八、四九五平方メートルであるが、実測面積は三、二四九・八二平方メートルで、減歩率六一・八パーセントである。

右各減歩の理由は、右実測は道路山側の線を官民境界としてなされているが、国有海岸空地と私有地の境界は、旧道であり、各土地の登記簿上の面積は右旧道までの地域を含むからである。そして、前記のとおり被告菊地は現海岸道路敷地を町へ寄付したが、登記未了である。

5 被告菊地は買取つた土地中、五反歩(一二三四番二ないし四の畑地と乙地の夏みかんの木に接する部分)を耕作して、小麦、甘藷を栽培し、昭和二三年一二月まで耕作、供出していたが、この間、当時の甲地所有者石垣から何等異議の申出がなかつた。

6 被告菊地は、昭和四六年一月一五日、海から向つてB1、B2各点を結ぶ延長線と現海岸道路山側の線との交点であるB1点より約五メートル右に、温泉掘さくの許可を得て工事に着手し、同四七年二月二三日工事終了し、温度二六・七度、湧出量一分時九六リットルの源泉を所有し、これの登録を受けた。

(二)  時効取得による境界線

仮りに境界線が原告主張線であるとし、原告主張線と承継参加人主張線との間に所在する土地が原告の所有であつたとしても、被告菊地は、乙地を訴外嶋田玄より買取り、昭和一九年八月三日所有権移転登記を経由し、以来善意、無過失、平穏、公然に前記部分の土地を乙地に属する自己の所有地として占有使用してきたのであるから、原告が所有権を取得した昭和三五年以前の昭和二九年八月二日の経過とともに被告菊地は民法第一六二条第二項によつて右部分の土地を時効によつて所有権を取得している。従つて、これにより甲地と乙地の境界は承継参加人主張の境界線に移つたのである。

第三証拠<省略>

理由

一  原告が甲地・甲′地を所有し、承継参加人が乙地を所有し(昭和四九年一一月二〇日被告菊地より譲受)、引受参加人が丙地・丙′地を所有し(昭和四八年四月七日被告会社より譲受)、甲地と乙地、甲′地と丙地・丙′地がそれぞれ隣接していること、原告と承継参加人らが右各土地の境界について争つていることは当事者間に争いがない。

二  本件各土地の来歴

いずれも成立に争いのない甲第九ないし第一一号証、第一六号証の一ないし四、乙第六号証ならびに弁論の全趣旨によると、次のとおり認められる。

(一)  甲地および乙地は、もと旧一二三四番一山林として訴外加藤重平の所有に属していたが、昭和一四年七月三一日、同人から訴外嶋田玄に所有権移転登記がなされ、昭和一九年二月一八日、右嶋田玄はこれから甲地(一二三四番五)を分筆した。

(二)  甲′地、丙地および丙′地は、もと旧一二三五番一山林として訴外土屋信之の所有(土屋家代々相続)に属していたが、同人は昭和一九年二月一八日これから甲′地(一二三五番五)を分筆した。

(三)  昭和一九年二月一八日、訴外石垣吉衛は、甲地を嶋田から、甲′地を土屋からそれぞれ買受け所有権移転登記を了した。甲地・甲′地は、一体として、訴外石垣から、日本石材株式会社、広瀬産業株式会社を経て、昭和三五年一月二九日、原告補助参加人が買受け、所有権移転登記を経由した。

(四)  甲地分筆残地(乙地を含む。)は、昭和一九年八月三日、被告菊地が嶋田より買受け、所有権移転登記を経由した。

(五)  甲′地分筆残地は、昭和三〇年四月四日、被告会社が訴外土屋より買受け、所有権移転登記を経由したが、これから同三八年一二月七日丙地(一二三五番六)が、同四二年一月二五日丙′地(同番九)がそれぞれ分筆された。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

三  本件各土地付近の状況

鑑定人加藤赳夫の鑑定(第一、二回)、当裁判所の検証(第一、二、三回)の各結果に照らすと、次の事実が認められる。

(一)  本件各土地は、伊豆半島相模湾岸、伊豆急熱川駅東北方の穴切湾南側の岬で、海岸面を熱川駅から穴切湾へ至る巾四メートルの道路に囲まれ、海岸には無数の岩石が累積し、岬の南北両斜面は何れも急であるが、南斜面の方がより急峻であり、岬の突端から熱川駅方向へ寄つた海岸道路脇に、「くぐり岩」と俗称される大岩がある。

この岩は、山腹よりの露出部分が横六・二メートル、高さ(道路面)四・二メートルで、下部に人がくぐり抜けられる穴があり、係争地特定の基点とするには恰好の確固不動の大岩である。

(二)  岬突端部の別紙図面A12点からB・B2・B25・B24の各点を結ぶ稜線が走り、海岸道路に面するA12点付近(A7からA19点まで)は切り立つた断崖で岩石が露出している。この断崖上からB2点までは一面に樹木が密生する直登不可能な嶮しい傾斜地となり、B2点東側にわずかの雑草地がある。B2点には槇の大木(目通り周囲一メートル)があり、ここから西向きに一面に芒の茂つたやや緩かな直登可能な斜面が続き、ハ点付近では平坦で芒が繁茂している。ハ点には境界と目される標識、境界木等はない。

(三)  B2点は、山の尾根の肩にあたり、前記の槇の大木があり、北面は、東側(海側)は前記の崖地の延長で樹木が群生しているが、西側(山側)は緩かな斜面で芒が生えている(第一回検証時にはえんどう豆畑、第二回検証時には五段の畑の耕作がなされていた。)。B2点から斜面距離約三二メートルのところに夏みかんの木(A)があり、その北方約七メートルのところにも夏みかんの木(B)がある。夏みかんの木(B)の北側は、前記急峻な傾斜地の延長で樹木が密生する。B2点と夏みかんの木(A)を結ぶ線の五メートル位海側を前記崖の縁が平行して走る。B2点からB1′点およびB6点は望見できない。

B2点の南面は、前記樹木の密生する急峻な傾斜地の延長であり、B2点の西七・二メートルの芒の中に温泉井戸がある。

(四)  第三回検証の結果によれば、ハ点はB2点から約二〇メートル西寄りの稜線上の地点で目印の木杭がある。ハ点からは、イ点、ロ点とも望見できない。

(五)  B6点の引受参加人主張の「大石」は、海岸に累積する大小無数の岩石の一個で二メートル×四メートル程の大きさの岩であるが、付近の岩に比して大きい訳ではなく、特に顕著な特色もない。

(六)  くぐり岩から岬突端寄り約一五メートルの道路下の海岸岩にコンクリート残片が付着し、同じく約三二メートルの道路下に巾一メートル長さ三メートルにわたり小岩を積み重ねその上をコンクリートで固めたところがある。

(七)  B1点には海岸道路山側の岩石の上に目通り直経四五センチメートルの松の木があり、B1、B2各点を結ぶ延長線と右道路山側の線との交点であるB1′点北西方向道路端に温泉井戸がある。

(八)  イ点、ロ点、B3点には、いずれも境界と目すべき標識および地形、事物、土質の変化はない。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

四  一二三四番と一二三五番の境界について

前記B2・B25・B24の各点に槇の木が植えられ、右各点を結ぶ稜線が両土地の地番境であることは原告と引受参加人との間で(B2点については承継参加人との間でも)争いがなく、右事実と前記認定の本件各土地附近の状況を綜合すると、両土地の地番境は、別紙図面のA12・B・B2・B25・B24各点を結ぶ直線(稜線)と認めるのが相当である。

五  甲地と乙地との境界について

先ず、当事者主張の各境界線の当否について検討する。

(一)  原告主張線について

原告主張線は、要するに、昭和三四年一二月一〇日頃、原告の前主である原告補助参加人の代理人滝口と被告会社代表者とが現地立会のうえ、甲′地と丙地との南側境界点をロ点と合意確定し、境界線の方向をも併せ確認したことを立論の基礎としている。証人滝口郁馬および同上野庄の各証言ならびに証人滝口郁馬の証言により昭和三五年三月頃原告補助参加人撮影にかかる写真であると認められる甲第一四号証の一ないし三によれば、原告主張の頃原告補助参加人により甲地および甲′地の測量が行われ、その際、甲′地の西側限界点について被告会社の者と何らかの申合せが行われた事実は認めることができる。

しかし、証人滝口郁馬の証言によれば、そこで申し合された地点にその後埋められた石は何者かに抜かれてなくなり、現にその地点を指し示す標識は何もないとのことであり、ロ点にもまた境界と目すべき標識および地形、事物、土質の変化がないことは前記認定のとおりである。そうすると、当時被告会社との間で何らかの申合せの行われた地点が果してロ点であるか否かがそもそも明らかでないこととなる。

しかも、元来土地の境界線は、国家が行政作用により定めたもので、私人の処分を許すものではないから、仮りに相隣者の間で境界を定めた事実があつても、所有権の範囲がその合意するところに従つて変動することがあるのはともかくとして、これによつて一筆の土地の境界自体は変動するものではない(最高裁昭和三一年一二月一八日判決民集一〇巻一二号一六三九頁参照)。

従つて、右合意の事実を境界確定のための一資料とすることはできるとしても、これのみによつて確定することは許されない(最高裁昭和四二年一二月二六日判決民集二一巻一〇号二六二七頁参照)。しかるに原告主張線はその立論の前提たるロ点合意の事実が極めて不明確であること前記認定のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、合理性に欠けるといわなければならない。

(二)  次に承継参加人の主張について検討する。

前記認定説示の本件各土地の来歴および付近の現況と証人嶋田勲および同嶋田源吾の各証言ならびに被告菊地本人尋問の結果を綜合すると、次の事実を認めることができる。

1  旧一二三四番一の土地は、登記簿上の所有名義は前記認定のとおり嶋田玄の単名であつたが、実質上は同人と嶋田勲の共有であつた。

2  昭和一九年頃、石垣吉衛が右土地の一部の買受を嶋田玄に申入れ、右嶋田両名は同人に対し、一山全部買つてくれと答えたところ、同人は、石材採取が目的であるから、岬先端部分だけでよいというので、結局右嶋田両名は、B2点の槇の木を境とし、槇の木から海側に走る崖地の縁を境として、岬先端までを一二三四番五(甲地)として石垣に売渡し、分筆登記および所有権移転登記を経由した。

3  甲地を石垣に売却して程なく、嶋田勲が被告菊地に右売却残地の買取り方を交渉し、嶋田勲が現地に被告菊地を案内し、甲地との境界は、前記B2点の槇の木を起点とし、夏みかんの木(A・B)から二間程下手(東側)を通つて北は海岸に至る線であり、海岸空地との境界は、前主の代から分明でないが、B1点の松の木までが境界だと思つてもらえば、控え目で確実なところであると指示した。

以上のように認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

そこで、右の線が甲地と乙地の境界線として正当なものと認め得るか否かをさらに検討する。

1  既に認定したとおり、B2点は地番境の一点であつて、稜線の肩にあたり、しかも槇の木が大きく生育し、現地における境界木として恰好のものであり、地形としては同点より海側(東側)は、山側(西側)に対して明らかな一線を画して、崖の縁が走つている。

2  証人上野庄および同嶋田源吾の各証言ならびに被告菊地本人尋問の結果によれば、嶋田源吾は、戦時中嶋田勲から土地を借りて、夏みかんの木の根元近くまで耕作していたが、同人は被告菊地が同所を買受けた後も引き続き耕作し、戦後は、しばらく被告菊地が同所を耕作していたことが認められるが、右耕作地は、原本の存在および成立に争いのない甲第六号証(公図写)ならびに成立に争いのない同第一六号証の四(分筆図)において甲地と乙地の境界線から西へ相当の距離をへだてて描かれている「一二三四ノ二畑」にあたるものと考えられる。

3  前記認定の石垣吉衛に対する甲地売却の経緯に現地の地形、林相を併せ考えると、石材のみを目的として甲地を買い受けようとする石垣の利害と残地を他へ有利に売却しようとする嶋田らの利害は、稜線の肩にあたり、恰好の境界木の生育するB2点からB1点の松の木に至る崖地の縁を目途として分筆することにおいて一致したものと解するのが自然である。

以上の検討の結果によれば、昭和一九年二月一八日の甲地・乙地の分筆線は、B2・B1・B1′各点を結ぶ直線であり、これが両地の正当な境界線であると認めることができる。

もつとも、第二回鑑定の結果によれば、公図を実測図に重ね合せると、公図上の甲地と乙地の境界線は、前記認定の線より更に山側(西側)に寄り、むしろ原告主張線に近いものとなることが認められる。

たしかに公図は、昭和三五年法律第一四号による土地台帳制度の廃止後も、不動産登記法第一七条の地図が整備されるまでの間、なお、従前どおり所轄登記所に備えられて一般の閲覧に供する取扱いがなされており、公的資料として目的土地の区画、位置を知るため利用され、一般にも境界が直線であるか否か、あるいはいかなる線でどの方向に画されるかというような地形的なものは比較的正確なものと解されているから、境界確定にあたつては重要な資料であるといえる。

しかし、当裁判所に明らかなところによれば、一般に公図は、もともと測量技術が未発達のときに作成され、前記認定の如き嶮岨な山地である本件係争地については、当時の測量技術では最も作成困難な場所であつたと思われるのみならず、前掲甲第一六号証の一ないし四、証人嶋田勲の証言および第二回鑑定の結果(第一〇号図)および弁論の全趣旨によると、昭和一九年の甲地の分筆手続は、現地の実測をすることなく、いわゆる公図上分筆として、公図写しに分筆線を記入したのみの分筆図面を実測図の代用として分筆申告書添付図面として用いたことが認められる。

したがつて、公図上の境界線との間にこの程度の喰違いがあるからといつて、前記認定の線が境界線としての適格を失うものと解すべきではない。

また、前記認定の線は、公図上の分筆線とやや方角を異にするが、同様の理由により、この点も境界線認定の妨げとはならないものである。

なお、前記認定の線によると、甲地は登記面積が八、四九五平方メートルであるにも拘らず、実測面積は三、一四八平方メートルしかないことになり、減歩率六二・九四パーセントとなるのに対し、乙地およびこれに囲まれた四筆の土地は登記面積二三、三三七・三平方メートルに対し、実測面積が一二、四三五・八五平方メートルで、減歩率四六・七一パーセントとなり、登記面積を実測面積で按分した場合の比率が、不公平となるとの批判もありうるが、前記のように現実の地形等に基づいて境界線の認定を行う場合には、これにより多少の面積の差異が生じたとしても、これから直ちに境界線が根拠薄弱なものになるとも考えられない。

六  甲′地と丙地・丙′地との境界について

(一)  原告主張線について

原告主張線が境界として認めがたいものであることは、既に説示したとおりである。

(二)  引受参加人主張線について

1  前出甲第一〇、一一号証、同第一六号証の一ないし四および証人嶋田勲の証言によれば、甲′地は、石垣吉衛が、甲地買受と同じ時期に、土屋信之から買い受けたものであることが認められ、この事実に、先に認定説示した石垣吉衛の甲地買受の目的および経緯を併せ考えると、同人の甲′地買受の目的も同様であつたものと推認することができる。

そして、右甲第一六号証の四(分筆図)によれば、甲地および甲′地の分筆線は南北に一直線であり、したがつて、甲地と乙地の境界線の南端と甲′地と現丙′地の境界線の北端とは一致している。

以上の事実を総合すると、甲′地と現丙′地の境界の北端は、前記認定のB2点(槇の木)であつたものと認めるのが相当である。

2  B6点(大石)について

引受参加人は、被告会社が丙地および丙′地を含む分筆前の一二三五番一の土地を買い受ける際、B6点の大石を土屋信之の代理人の嶋田玄から境界点として指示されたと主張するが、被告会社代表者本人の供述以外にはこれに副う証拠がなく、右供述も次の各事実に照らして遽かに信用できない。

(1)  前記認定説示のとおりB6点の大石は、形状、色彩、石質の何れも、付近に累積する海岸岩石と比べて取り立てていう程の特色がなく、境界標識たりうるものとは解し難い。

(2)  証人嶋田勲の証言によれば、乙地を実質的に共有していた嶋田勲は、自己所有地においてすら、海岸空地との境界が不明であつたことが認められ、したがつて、他人所有地の海岸空地内の何等変哲のない石を境界標識として指示することは極めて不自然である。

(3)  第二回鑑定の結果(第4号図)と第一回鑑定の結果(第三号図)を比照すると、B6点を頂点とする突出部分は、公図上認め難く、公図が大凡の地形については比較的正確であることに照らして、かかる突出地形は極めて不自然であり、現場の地勢にも合致していない。

以上によれば、甲′地と丙地・丙′地との境界線は、その北端部分は認めることができるが、その余の部分は明らかでないこととなり、他にこれを認めるべき的確な証拠もないので、結局、右については境界不分明に帰する。

(三)  よつて、甲′地と丙地・丙′地の境界不分明につき、従前の占有関係、面積の比較、公図上の地形等の諸要素を検討しつつ、公平妥当な境界線を裁量で確定することとする。

1  従前の占有関係

成立に争いのない乙第五号証、被告会社代表者本人尋問の結果および検証の結果(第一、第三回)によれば、被告会社は昭和三六年一月二三日静岡県知事から温泉掘さくの許可を受け、B2点の西方七・三メートルの地点に温泉井戸を掘さくしたことが認められる。

他方、証人滝口郁馬の証言およびこれにより昭和三五年二月頃原告補助参加人撮影にかかる写真であることが認められる甲第一五号証の一ないし四によれば、原告補助参加人は、昭和三五年二月頃、一ケ月間位にわたり、毎日四、五人の人員を使つてハ点附近の伐採作業をしたことが認められる。

以上の事実によれば、従前の当事者間の占有関係は、境界線を理由づける資料とするに足るだけのものではなかつたといわざるをえない。

2  公簿面積と実測面積との比較

第二回鑑定の結果((リ)の(ホ))によると、一二三五番の土地(一二三五番一、三ないし九)は、全体の公簿面積(ただし、成立に争いのない甲第九号証により認められる被告会社の一二三五番一の土地の地積訂正前のもの)が二五、〇一一平方メートル、全体の実測面積が二七、〇七八・六五平方メートルで、八・二六パーセントの増歩率を持つ土地であることが認められる。

また、同鑑定の結果(附属参考書第二号)によると、丙地・丙′地以西の引受参加人所有地の公簿面積は、一二三五番一、三、四、六ないし九の七筆で合計一八、九六二平方メートルであり、原告所有地である甲′地のそれは、六、〇四九平方メートルであることが認められる。

この場合、引受参加人所有地は、同様に前記被告会社による地積訂正前のものによるべきである。けだし、右地積訂正は、本件訴訟係属後に特段の根拠なく行われており、公簿面積と実測面積との割合を境界線確定の資料とする場合に右のような訂正後の公簿面積を使用するときは、不公平な結果をもたらすからである。

なお、原告および引受参加人所有地の実測面積を比較するに際しての問題点としては、成立に争いのない甲第一三号証、前掲甲第九号証によると、被告会社は、西隣の一二三七番三ないし五の土地の所有者との間で昭和四〇年七月一日裁判上の和解により境界を合意していることが認められ、これが被告会社の譲歩の結果である場合は、増歩率の比較にあたり考慮すべきものであるといえるかも知れない。

しかし、境界線が隣地所有者との合意によつて任意に定めうるものではないとしても、前掲甲第一三号証上被告会社において理由のない譲歩を行つた形跡がなく、かつ、他に当該境界線につき的確な証拠もない本件においては、右の合意による境界線をもつて西隣地との正当な境界と認めるのが相当である。

そうだとすると、原告所有地である甲′地と引受参加人所有地(丙地・丙′地を含む。)との境界は、B2点を通り、両地にそれぞれ八・二六パーセントの増歩率をもたらす線が最も公平な線ということになる。

そこで、同鑑定の結果(第5号図)により、B2、B3各点を結ぶ直線で、原告所有地と引受参加人所有地を分割すると、前者は実測面積六、三四〇平方メートル、後者は実測面積二〇、七三八平方メートルで、その増歩率は、前者が四・八一パーセント、後者が九・三六パーセントとなることが認められる。

右の結果は、第二回鑑定の結果((リ)の(ホ))に右線が同一の増歩率をもつ境界線に類似するとあるも、やや不公平の感が拭えない。

そこで、試みにB3′点をとり、B2・B3・B3′点を結ぶ三角地を同鑑定の結果(第5号図)により図上面積から算出すると約一七四平方メートルとなり、これを前記B2、B3線で分割した面積に加減して計算すると(即ちB2、B3′線で分割した場合)、甲′地の実測面積は六、五一四平方メートル、引受参加人所有地は二〇、五六四平方メートルとなり、両地の公簿面積に平等に八・二六パーセントの増歩を掛けた数字に極めて近似することが認められる。

しかも、右B3′点は、海岸道路が屈曲する山側の屈曲点にあたり、地勢上も一つの特徴ある地点となつており、この屈曲点は境界点とするに恰好の事物と認められる。

以上の理由により、公簿面積と実測面積との比較による限り、甲′地と丙地・丙′地との境界線はB2・B3′各点を結ぶ直線と定めるのが公平に合致するものと考えられる。

3  公図との比較

そこで、最後に、境界線を右のように定めた場合、公図上の地形と比較して著しい不合理が生じないか否かを検討する。

前出甲第六号証(公図)によると甲地と乙地の境界線と甲′地と丙地・丙′地の境界線は、ほぼ南北に走る一直線をなすものとして記載されているのに対し、前記認定の両境界線は、第一回鑑定の結果(第二号図)によると、B2点を境にほぼ一五七度の角度で西方へ屈折したものとなり、公図上の地形との間に若干不一致が生ずることになる。

しかし、既に説示したとおり、本件においては公図上の分筆境界線が必ずしも正確とは思われないし、前記のとおり、一二三四番の土地と一二三五番の土地とは全く別個の沿革を有する土地であることを考えると、甲地と乙地との境界線および甲′地と丙地・丙′地との境界線がそれぞれ一直線をなしていることは最低限必要であるとしても、右両線が全く屈折せず、一直線をなして連続している必然性はないものというべきである。

しかも、被告会社代表者本人尋問の結果によれば、同人は、両境界線が一直線をなして連続しているものと考えていたことが認められ、これに、前記認定の甲・乙両地売買の経緯ならびに本件各土地が山岳地で見通しのできない場所であることを総合すると、分筆当時の関係者は両分筆境界線が一直線をなして連続しているものと理解していたことが推認される。

以上のような事実を前提とすれば、両境界線が前記の程度に屈折しており、一八〇度の角度をなしていないからといつて、これが境界線として適当でないものということはできない。

七  以上の次第であるから、原告所有の甲地と承継参加人所有の乙地との境界は別紙図面のB1′・B2各点を結ぶ線と定め、原告所有の甲′地と引受参加人所有の丙地・丙′地との境界は同図面のB2・B3′各点を結ぶ線と定めることとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決した。

(裁判官 藤井俊彦 櫻井文夫 渡邊雅文)

(別紙)目録

(一) 静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本字浜山一二三四番五

山林 八反五畝二〇歩

(二) 同所一二三五番五

山林 六反一畝

(三) 同所一二三四番一

山林 二町八畝四歩

(四) 同所一二三五番六

山林 二三一四平方メートル(二反三畝一〇歩)

(五) 同所一二三五番九

山林 七八二平方メートル

(別紙)図面

静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本字浜山一二三四・一二三五番地別求積図<省略>

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